結局クルドなトルコリラ安の話
ひょっとしたらもっと日本にも影響するかもしれないトルコリラ安の話
ホント筆が乗ると毎日更新しますね、このアカウント。
さて、今回はトルコ滞在シリーズから一転して、ちょっとまだホットなうちに、トルコリラ安についてまとめたいと思います。
なんでかというと、トルコ滞在シリーズでも言及しますが、なんとトルコリラ最安値の時に私はトルコに滞在していたからです。
写真自体は自粛しましたが、イスタンブールのグランドバザールやボスフォラス海峡のアジア側などのレートの電光掲示板の前には常に人だかりがある。そんな感じでした。
客引きにもトルコリラ安使われるし、どんだけ敏感かよ。
そう呑気なことを考えていた私もいました。
帰国(8月14日)後に調べたら、これ案外デカい問題でした。そしてこれは将来的に日本外交とかにも影響しかねないんじゃないかな~~て感じでした。
外交とかド素人ですが、私なりに色々調べたのを纏めてみました。
お断り
基本的にソースは誰でもアクセスできるものを選んでいますが、定期購読しているウォールストリートジャーナル(以下WSJ)のみ有料コンテンツなのはご容赦ください。
今回の騒動の概要#とは
一言でいえば、トルコリラのレートが暴落したという話です。
昨年11月とか12月頃は1トルコリラ=30円程度でしたが、私が渡航した7月下旬は1トルコリラ20円ほどでした。
安い!!
楽天証券によれば、こんな移動(2018/09/22/9:44時点)をしています。
まじか
単純移動平均(5日) 単純移動平均(25日) 単純移動平均(75日)
このグラフは3ヶ月のものですが、8月からめちゃんこ落ち込んでいるじゃないですか。
これを1年単位でみると、こうじゃ!!
単純移動平均(5日) 単純移動平均(25日) 単純移動平均(75日)
データは同じく楽天証券(2018/09/22/09:47ごろ)からです。
で、この結果、消費者的にはマジラッキーっていう状態でしたが、投資をしていた人たちには大損だったりしたわけです。
因みに、筆者は最安値を記録した時期にイスタンブールのグランドバザールに居たので、めちゃくちゃ得をしたタイプの人間です。
そもそも始まりは2008年から
とはいえ、この危機も急に始まったわけではないそうです。
ということで、同じく楽天証券のデータを10年毎に観てみましょう。(2018/09/22 09:52参照)
単純移動平均(9月) 単純移動平均(24月) 単純移動平均(60月)
お判りいただけたでしょうか。
2008年頃にもめっちゃ急落しているんです。
さて、9月10日のWSJの記事にも2008年は触れられています。
そう、2008年と言えばリーマン破綻からの金融危機。
10年の節目だからか、この記事のような若者世代の話以外にも、またそんな危機が来てもおかしくないねー、みたいなそんな記事が最近ちらほら。
これなんかもそんな記事ですね。
当時私は小学5年生。大した記憶はありませんので、ここでは割愛します。
重要なのはここでトルコリラの暴落が始まったということです。
天下のGoogle先生によれば、当時の1トルコリラは100~90円程度で取引をされていた模様。
これが2009年には1トルコリラ=60円程度で取引されるようになります。
どーん。
そしてここで終わらないのが、今回の暴落の1因になります。
やはりここは日本国民たるもの外務省のデータを参考にしたいところ(まーたいい加減なこといいやがって)
ということでぺたり。
2007年から第2次エルドアン内閣発足です。
デデーン。
このエルドアンが今回の要素1です。
2003年に第1次内閣を樹立し、政権を握ってから10年間、彼はトルコの民主化改革と経済改革を推し進めてきました。
トルコは民主化と独裁の分岐点に立っている | グローバルアイ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
(2018/09/22閲覧)
よく忘れられますが、一応トルコはNATO加盟国です。
西アジアの情勢安定化のためには、トルコの存在がキーだ、なんて言われていた時期もありました。
特にトルコはイスラーム国家の中でも世俗的な国家と言われてきました。
詳しくは高校世界史の教科書を見てほしいのですが、やっぱりそこには建国の父・ケマル・アタテュルクの影があるんじゃないでしょうか。
2015年のメディアには、未だアタテュルクの影がトルコ内では大きく、さらに民主主義の最後の砦はアタテュルクの出身でもある軍部、みたいな書き方をされていました。
事実、外務省のホームページにも何回も軍部によるクーデターが行われていることを確認できます。
(最終閲覧:2018/09/22)
が、2013年頃からエルドアンは独裁方向に踏み切り始めた、そんなことも言われてきています。
そんなエルドアンには唐人外国からは不安が寄せられるわけで。
しかもとうとう最近、「民主的な国家」から「民主的でない国家」へと下落しちゃいましたよ、トルコ共和国。
ここの不信感もあり、レートが下落を開始します。
更にさらに。
私は経済学を専攻していないので、詳細には説明しかねますが、レートの回復には金利を上げることが有効だと言われています。
そもそもトルコリラ安で投資家集団がダメージを受けたのは、トルコリラが投資家に人気だからだそうです。
位置的にも今後の経済成長が見込める、とかその他諸々の要因はやる法ですが、他の要因は今回の話に直結しないので割愛します。
なので、トルコの中央銀行としては、金利をあげたい。挙げてレートを回復させたい。
ところがどっこい。エルドアンが邪魔をします。
エルドアンの最近の経済政策には「ブードゥー経済」なんてな批判もつけられています。
これにより、ますます不信感が投資家の中で漂ったのだとか。
更には身内を財務大臣に就任させたり、先日選挙で再選したさいにも、「独裁者」なんて言われるくらい、強める独裁体制…
他にも近年のISなどの問題で、治安にも不安を寄せられています。政治・経済も不安定そうなのに、治安もやばいのか…みたいなそんなあれ。
更には増していく中国経済への懸念と不透明な政治。
2018年には米核合意離脱もあり、一気に西アジアの情勢が不安定化します。治安がますます不安になるんじゃ~~~。
結果として、ここ数年言われていた、イスラーム圏での優等生・トルコ像が段々と揺らいできています。これがトルコリラ安の理由1:政府への不信感でした。
トルコとクルドの根は深い
私的に、これが一番影響していると思われるのが、クルド人問題です。
さて、今回のトルコリラ安のトリガーを引いたのが、対米関係であるとも言われています。
上述した不信感自体は2013年頃からあったようですが、対米関係が悪化したのは2017年10、11月頃。
なんですが、8月頃にズドーンッ!と下がったのにはもう1つの大きな要因があります。
それがブランソン牧師という方をめぐる問題です。
2018年7月26日、アメリカ・トランプ大統領が彼の釈放を要求して経済制裁をちらつかせたことが事の始まりです。
さて、このブランソン牧師という方はどんな方なのか。
トルコ・イズミルで布教活動をされていたのですが、クーデターほう助の疑いで逮捕されています。
あ、イズミルには、アタテュルク大学という大学があるそうですヨ。ソース:私の友人inトルコ
さて、福音派と言えばアメリカ政治を連想される方もいるでしょう。
そう、トランプ大統領。
同時期、選挙に関してロシアが関与していたのではないか?という疑いが中間選挙を前にして再びかけられているこの米大統領、支持基盤に白人福音派が挙げられます。
トランプ政権と白人福音派 | 2020年アメリカ大統領選挙と日米経済関係 | 東京財団政策研究所
この福音派にとって、ブランソン牧師釈放は重要です。異郷の地で10年以上布教活動してるからでしょうか。
そして、トランプ大統領にとって、中間選挙で勝つには福音派の支持が欠かせません。
実際、着任後も福音派受けするような動向を取っていたようですし。
なので、圧力をかけました。(言い方選べよ)
2016年に逮捕したブランソン牧師を開放しろと。
(丁度自宅軟禁に移された翌日のことです。)
具体的にはギュル法相とソイル内相に経済制裁を加えたそうです。
が、エルドアン大統領は当然講義をします。
「お前、NATO加盟国を脅して許されんのか!!」的な発言をします。
そういやトルコってNATO加盟国でしたね。加盟国感まったくないけれど。
なにが言いたいかというと、めちゃくちゃ対米関係冷え込みます。
そしてそれを受けて馬鹿みたいにレートが下がった8月13日、という構図が成り立ちます。
最近ではカタールやドイツが支援をして、何とか20円前後で落ち着きを見せ始めていますが、30~40円台に戻るにはまだまだかかるでしょう。
でもなぜブランソン牧師は捕まっているのか
結局そこが気になる所なんですよね~~~~。
さて、ブランソン牧師が捕まった2016年といえば、トルコであんまり嬉しくない事件が起きています。
7月15日、クーデター勃発です。マジか。
詳しいことは先ほど上に貼った外務省HP、トルコ共和国の基礎データの5章内政のところで確認できるので、本記事では割愛します。
まあこのクーデター、失敗しているんですけどね。クーデター未遂事件として記録されます。
でも、ここでブランソン牧師はクーデター幇助容疑をここで掛けられ、逮捕されます。
この失敗したクーデター、誰によるものなのかというと、ギュレン運動という派閥によるものです。
当初はエルドアンの支持母体であったもの、2013年以降関係は冷え込み、とうとう完全決裂を起こした派閥です。
そしてこの事件を契機にエルドアンは独裁の方向性を強めたとも言われています。
で、その幇助でブランソン牧師は捕まっています。
が、これはあくまで直近の話。
どうやらブランソン牧師は別案件でも幇助をしたと(トルコ政府に)言われています。
それはPKKの支援。
PKKとはクルド労働者党のことであり、クルド人なしにはトルコの社会課題は語れないんじゃないかというぐらい大きな存在がクルド人です。
クルド人といえば、かつてアイユーブ朝の創始者サラディンを輩出した民族でもありますが(詳しくは高校の世界史参照)、現在は国家を持たない最大の少数民族としても知られています。
そしてクルド人とトルコ政府は仲が悪い。
近年歩み寄りを見せたかと思いきや、衝突を起こしまくったりしてます。
…よく事件に遭遇しなかったな、トルコに居た時の私。
それはさておき、クルド人を巡っても米土関係はちょっと荒れています。
なんと、オバマ大統領の時点で既にごたごたしてきています。
トランプ大統領だけじゃないんです、原因は。
オバマ大統領といえば、初の黒人系大統領、ノーベル平和賞受賞から始める任期という事実ににプラスして、”ビンラディン殺害声明”を出したことでも知られていますね。
というかちょっと前まで大統領でしたし。
で、ISが一番ヒートしていた時期はこの人の任期でした。
てか、バクダーディー殺害声明もこの人でしたよね。確か。
平和#とは…。
ISには色んな呼び名がありましたが、IS以外で一番有名な名称はISISかと。
Islamic State of Iraq and Syria。
ISILとか他にもありますが、結局一番言われていたのはISISだと勝手に思っています。当時ちゃんとカウントしておけばよかったかな。
で、思い出されたか方もいるかもしれませんが、クルド人って別にトルコだけにいるわけじゃないんです。
イラク、イラン、シリアの国境地帯にまたがっています。
で、彼等はISに対抗する要因として、アメリカに目を付けられ、支援を受けたと言われています。
一応、その団体の名前自体はPKKではありませんでしたが、トルコ政府の観点では、「アメリカは反トルコ政府集団に軍事支援をするのか」、つまり同じ団体であるのです。
当然、当時からトルコ政府から抗議の声が上がります。
そりゃそうだ。
で、更に今回のブランソン牧師が援助したと言われている団体を加味してみてください。
お判りいただけたでしょうか。
実際の真偽は別として、いかに容疑がトルコ政府の地雷を踏み抜きまくっていたかということについて。
前述した「NATO加盟国を人質にとっているぞ!お前!」的な発言にもつい納得してしまいます。
問題はどこまで容疑が真実か、って話なんですけれど()
因みにクルド人に関する問題は根が深く、トルコがアメリカ軍にも貸し出しているインジルリク空軍基地問題にも波及しています。
結局クルド人じゃねえか。
筆者がそう思ったのも無理がないでしょう。
以上、理由2:クルド人、でした。
まとめ
8月11日のWSJによれば、米土関係の火種は6つあります。
ブランソン牧師、シリア、インジルリク空軍基地、フェトフッラー・ギュレン、ハルク銀行、エルドアン大統領の警護隊
でもこの記事が示す通り、結局半分はクルド人問題が起因しているんですよね―――――。白目。
確かに残り半分はエルドアン大統領への不信感にカテゴリされるでしょう。
しかし、急にトルコリラがドゴンッって落ちてるのが、制裁がちらつき始めた7月末から数日空いた8月からですから、トリガーを引いたのはやっぱりクルド人問題絡みが割合としては多いんじゃないでしょうか。
そりゃ(確か)中学社会でもクルド人問題を扱いますわ。
本当に根が深い。
最後の最後にまじめな話をすると、日本にとってもこれは重要だと思ってます。投資家以外にとっても。
というのもトルコは八方美人な外交をすることに定評があり、既にロシアや中国に接近を始めているんだとか。
詳しくはこちらの記事もご覧ください
今トルコが反米国家に完全になってしまったら…。
アメリカにとってはいいことが無く、アメリカに国防を頼っている日本にとっても利は殆どないんじゃないでしょうか。
中国がアメリカとの貿易戦争どうにかしない限り、トルコにそこまで答えるとは思えませんが…。
半年後にはトルコリラはどうなっているんでしょうか??
エルドアン大統領のツイートで衝撃的な噂もたったことですし、ホント今後どうなるんでしょうね。白目
<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="tr" dir="ltr">Rahib olduğunu iddia ettikleri Brunson Askerdir.<br>Amerikanın Irak'ı işgalinde Irak altınlarını yağmalama operasyonlarının komutanı idi.<br>Bu görüntüler de bu yağmalamanın fotoğrafları. Amerika için bu rahibin ne kadar önemli olması, ya konuşursa...<br>ABD Irak’tan çaldıklarını Ver. <a href="https://t.co/XH0keCm2UJ">pic.twitter.com/XH0keCm2UJ</a></p>— Mehmet ERDOĞAN (@mehmeterdogan27) <a href="https://twitter.com/mehmeterdogan27/status/1031436840958611456?ref_src=twsrc%5Etfw">2018年8月20日</a></blockquote>
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
これがフェイク何だか、そうじゃないんだか。。。真実はどこだ(真実は1つなんでしょ、ねえ名探偵コ〇ン)
一介の消費者である大学3年生の切実な願いとしては、卒業旅行の時までもう少しトルコリラ安が続いてほしいものですが(おい)
トルコ滞在2018~往路編:研究所まで~
筆が乗ったら、ノンストップで更新していくスタイルです。
さて、既につっこみどころしかない、このトルコ滞在。
まだまだやらかしがあります。
なにやってんだ、筆者、というツッコミをしたそこのあなた。まだまだ筆者を理解しきれてるとは言えませんね!!!!(何様)
さて、この記事以前の整理
まだまだツッコミ所しかない往路編
今回はイスタンブールでトランジットして後、トルコ共和国が首都、アンカラに着陸してからです。
筆者、人権を失ったってまじ??
そんな往路の後半です。
相変わらずの魔界・空港
さて、アンカラ・エセンボーア空港に着くと、今度はちゃんとサテライトがありました。
って油断するじゃん???
ここで間違いを犯しますが、サテライトにいるときは気づかず、そのまま大荷物受け取りの場所に移動します。
ここで第3回半泣きチャレンジ。
同じ国内線の便でも、国内線と国際線ではサテライト出口が違う。
知るかってのゲフンゲフン。
イスタンブールで「君ら、アンカラ行くの?それなら国内線だよ!」とオッサンたちが親切に教えてくれたのが裏目に出ました。
馬鹿正直に国内線出口に出ちゃいました。
国際線利用者はたとえ国内線を利用したとしても、目的地に着くまでは国際線枠です。
しっかり国際線の出口に出ましょう。
後に、親にこれを報告したところ、「いや常識だろ」という素っ気ない返事がきました。
あなや。
そんな一般常識は、国内線出口で自分たちの預けた荷物が出てこないことに気づいてから知りました。
あわてて、全力ダッシュで国際線の荷物受け取りに向ったのですが。
さて、飛行機慣れしてる方はもう気付いたでしょう。
ああ、奴らやりやがったな、と。
預けた荷物受け取りのところは逆走禁止です。
一回外に出てしまった為、自動ドアに入場を拒まれてしまいました。
何やってんだ、私たち。
必死に守衛のおっさんに事情と証明の書類を提示して、
”We want to enter this room, because we have to pick up our baggage inside this room..."
といったところ。
めちゃくちゃトルコ語で返されました。
研究所に着いてから知ったのですが、トルコ人は基本的に英語が出来ません。
おそらくイスタンブールで英語が通じたのは、世界でも有数の観光地だからでしょう。
更にこれは帰国後に知った事ですが、アンカラのトルコ人は特に英語が出来ないそうです。
その日、「まあ、英語使えるし、トルコ語不十分でも大丈夫でしょ~~~~」と余裕こいていた自分を殴りたい。
リスニングとスピーキング、つまり実践的な英語に圧倒的な自信があっても、トルコというかアンカラでは何の足しにもならないんですよ。
いや、うん、でも、まあ。
これだけは声を大にして言いたい。
まだ荷物引き取りはマシだったと。
無事荷物を引き取った後、無事換金も終わらせました。
確か7月29日は1TL=20円くらいに下がっていました。
準備開始段階では、60円とかだったので、ものすごく安くなりました。
因みに滞在期間中にどんどんまだ下がります。
このTL安、背景を調べるとなかなかに面白いので、後日記事にしますね。
ボッと生きてんじゃねえよ!!
さて、荷物引き取り後、ボッと生きてたせいか、女子大生5人組でエセンボーア空港でお茶することになりました。
「バーガーキングみたいな世界的なチェーン店あると安心するよね~」
なんて話してた瞬間もありました。
ついこんなツイートもしちゃいました。
#2018さえのトルコ滞在
— さえ (@vita85si) 2018年7月29日
バーガーキングとかスタバとか見ると落ち着くよね
ただしデカイ pic.twitter.com/MdE0OnbaIY
ハトがいる空港
結局スターバックスに入りました。
写真の兄ちゃんはいい人でした。チャラかったけど。
で、ここで日本人は騒ぐわけです。
「あ!!抹茶フラペチーノ!!!!」
やっぱり、抹茶があると落ち着くよね、日本人だもの。
とはいえ、抹茶フラペチーノは頼みませんでした。
見てください。この!巨大な!フードを!!
正直、日本人にはわけわからない位大きかったです。
そういえば、オーストラリア言った時もサイズ感はこれくらいだったかもしれないです。
正直なところ、イスタンブール→アンカラ間の僅か1時間のフライトでもサンドイッチが出ており、お腹はすいていなかったので、食事系は頼みませんでした。
このサンドイッチ、とても美味でした!!
トマトとホワイトチーズというシンプルながらも決してはずれのない王道サンドイッチ。
弊大学弊学類長(先史学)の論文にはトルコにおける乳利用に関するものがあるのですが、思わずその論文を想起して、悠久の歴史に思いをはせるくらいトルコのチーズはおいしかったです。
というか、国際線の機内食の何倍も国内線のサンドイッチがおいしかった。
トルコのトマトとチーズのサンドイッチ、アイシテル。
因みに復路のこのサンドイッチにも思い出があります。
さて、実際に私たち5人のオーダーはこちら。
一番手前のアイスコーヒーが私のものなんですが。
日本の感覚では、ショートサイズの金額しか払っていませんし、実際ショートを頼みました。
いや、待て。
これ、トールサイズより気持ちデカいんじゃね???
日本のトールの方が気持ちシュッとしてる気がするのは私だけでしょうか。
13トルコリラで日本のトールサイズのアイスコーヒー300円くらいだから大丈夫だと思う!!
— さえ (@vita85si) 2018年7月29日
ラージを頼んだことが無いので、何とも言えませんが、ラージサイズの方が近い気が…
スタバに詳しい人のコメントをお待ちしております。
さて、スタバトークはとりあえず。
スタバトークの前に、私が当時の自分たちを「ボッとしてる」と評したのを覚えているでしょうか。
そう、トルコに限らず空港って面倒くさいね、という話です。
実は今回のフィールドコース、参加者はアシュティというバスターミナル(トルコ語でオトガル)で全員集合の予定でした。
トルコには1つの町に必ず1個はオトガルがあるそうで、そこからトルコ内で最も発達している公共交通機関・バスを使って色んな所へと行くことが出来ます。
今回の往路編の目的地、カマン行きのバスもこのアシュティから出ています。
敗因:エセンボーア空港とアシュティが同じところにあると勘違い。
残念、バスで1時間ほどの距離にあります。
冷静に考えたら、成田も羽田もTOKYOと言いつつ、そこまでTOKYOじゃない。
多分そのパターンですね。
待ち合わせまで1時間強あるね~~ってところで、この勘違いに気づけたのが、不幸中の幸いでした。
トルコ語出来ない=アンカラでの死
さて、ダッシュで空港のバス乗り場に向ったのですが。
インフォメーションセンターで、「アシュティ行きのバスどこ?」と聞いても、トルコ語でまくしたてられるばかり。
かろうじて、「ブ」とか「シュ」といった「これ」「あれ」に該当する言葉を聞き取り、バスの乗り場にGO。
バスの近くにいる運転手さんたちに「アシュティ行きのバスはどれ?」と聞いて、該当のバスに連れて行ってもらいました。
料金1人11TLなり。チャリーン。
『地球の歩き方』には8TLと書いてありますが、値上がりしたんでしょうか。
日本人との意思疎通が分からないとなると、我々のキャリーバッグをおっさんが引いて、バスのところまで連れて行ってくれるというあのやさしさ。
ありがとう、トルコのおっさん。
このおっさんに限らず、トルコのおっさんは皆とてもやさしかったです。
流石親日国(2週間後にその本当の意味を思い知るのですが…)
とりまアシュティに行こう
さて、アシュティへ向かうぞという道中。
アンカラ市内はとてもとても素敵な町でした。
ひたすらバスの中でバシャバシャシャッターを切りまくっていました。
これはケマル・アタテュルクかな?という銅像やアラジャホユックの出土品の像、要はトルコを代表するもののオブジェが町中にあふれていました。
そして、山岳地帯であることを全く感じさせない、都市計画よというお気持ち。
車窓からみるアンカラはめちゃくちゃ山でした。
アシュティ着
さて、気付けば1時間経ち、無事アシュティに到着しました。
めっちゃ広いけれども、基本的に『地球の歩き方』はイスタンブールにフォーカスしており、アンカラの情報はあんまりありません。
まあ、何が言いたいかというと、アシュティで迷いました。
新宿駅よりも小さい空間でしたが、見事に迷いました…。
(とはいえ、おかげで往路は迷わずに済みました(笑)。)
バスと電車が同じ存在感、というかむしろバスの方が存在感あるあたり、トルコのインフラの頂点はバスなんだと痛感しますね。
そんなハプニングもありつつ、無事全員合流にまでこぎつけることが出来ました。
良かった~~。
そしてチケット購入も完了です。
トルコ語能力0集団がなんとか頑張りました、という話です。
さて、バスの時間まで数時間あったので、一回解散し、お昼を食べたり、SIMカード買う人は買うという話になりました。
アザーンらしき放送が流れてる??
— さえ (@vita85si) 2018年7月29日
アシュティ(13:00)#2018さえのトルコ滞在
私はSIMカードを買う人についていったのですが、備忘録的にメモを残しておきますね。
・グローバルSIMは、事前にSIMロック解除をしておかないと使えない。
購入希望者は日本でSIMロックを外してから出国する事。
(海外でも外せないことはないんだろうけど、国内で外した方が断然楽)
・SIMカード購入にはパスポート情報が必要。
購入の意思表示をすると、お店のおっさんが情報を入力してくれます。
これで、SIMカードは購入者しか使えなくなります。
これが使えないとなると、めっちゃ面倒くさいし、悲しい思いをします。
ちょっとのトラブルはありましたが、上記2点を抑えておけば、トラブルは避けられると思います!!
余談ですが、日本人がSIMカードでごちゃごちゃしてたら、インド人観光客のおっさんがこっそり教えてくれました。
「自分もSIMカードを買おうと思って、ここに来たんだ。でも、ここ(アシュティ)のSIMは他より高いよ」
マジか…。
私自身はグローバルWi-Fiでしたが、SIMカード購入検討されている方は、是非慎重にご検討くださいな。
…てか、見ず知らずの日本人にそういう情報教えてくれるインド人、めっちゃやさしいな…
さて、そんなSIMカードに関するそんなあれやもありつつ、気になるお昼はと言いますと。
デデーン!
こちらです。
因みにターキッシュエアラインズの機内食とほぼ同じ感じです。
なんと、これわずか3TLだとか。
(実は同じコース参加者の方に奢ってもらっちゃっいました。ありがとうございます!)
嘘でしょ。
日本に60円で食べれるサンドイッチがあったら、教えてほしいものです。
トルコの物価の低さを体感した最初の出来事でした。
無事バスに乗り研究所へ
さて、往路はまだ終わりません。
なぜなら、研究所に着いていないからです。
と言っても、この時点でほぼすべてのやらかしは終了しています。てか、これ以上やらかしようがない。
カマンにある、日本アナトリア考古学研究所まで、2,3時間バスに乗り、途中寝たりしながらも快適な旅を送りました。
5年前にイギリスに行った際は、道があまりにもガタガタしていたので、バス酔いもしましたが、トルコではそんなことはありませんでした。
グッバイ、アンカラ。また2週間後。
エセンボーア→アシュティは田舎→都会って感じでしたが、今回のアシュティ→カマンも当然そんな感じでした。
だんだんとTHE丘陵地を抜け、THE田舎に突入します。
「テペとかホユックとかそういうのが遺跡の目印(かなり雑な説明)」みたいな話は聞きますが、正直この時の私には、全く分かりませんでした。
全部一見、只の山じゃん。
それくらい山々してました、トルコの大地は。
途中、見事に写真を撮り忘れましたが、河を1つ渡りました。
どうやらあれは、「赤い河」で、漫画『天は赤い河のほとり』の舞台にもなっていたところだったようです。
私は原作も舞台も観ていないのですが、どちらかを観た人にとっては垂涎もののようで、研究所に着いてから、みんなが興奮するなんて場面もありました。
しかし、今回の滞在で中東の生活を知ることも目的であった私にとって、こちらの方が地味に衝撃的でした。
道路のすぐそばで西瓜をめっちゃ売ってる。
日本で、西瓜をこんなに大量に売っているところは滅多に見た事がありませんし、このお店が特筆的なのではなく、似たようなお店はちらほら見かけました。
なんか日本と違う気がする。
研究所に着いた後も、めちゃくちゃ西瓜は食事についてきます。
どういうこと。
研究所で仲良くなったイタリア人院生F曰く「日本と違って、トルコで西瓜はとても安いんだ」
もはや何回目かを数えるのを忘れるほどのカルチャーショックでした。
はじめまして、カマン
まあ色々ありましたが、無事カマンに着くことが出来ました。
METRO社のバスから降りれば、そこにはカマンのモスクがありました。
トルコ来てからこんな近くでモスクを見るのは初めてです。
バス停のすぐそばまで研究所の方が迎えに来てくれていました。
研究所の車に乗り、10分ほどで、研究所に到着です。
到着後は宿泊用のキャンプ棟に荷物を置いたり、部屋割りを決めたり色々雑用済ませたのち、食堂に集合。
研究所でのルールなど、初回ミーティングがありました。
初回ミーティングも夕食も終わらせれば、もう日も沈んでいます。
今日はさっさと寝て、明日からのコースに備える事!!
以上、トルコ滞在2018、往路編でした!!!
次回、カマン・カレホユックと発掘中のタイムラインなどを書いていきますね!!!
トルコ滞在2018~往路編:イスタンブールまで~
お久しぶりです。
準備編を書き上げた直後に大腸炎をやらかすというポンコツっぷりを発揮してしまい、更新にブランクが開いてしまいました。
しかい、ちゃんと最後まで書ききるつもりですので、安心して今回の報告をお待ちください!
前回の準備編はこちらから。
さて、今回は往路編です。
めちゃくちゃ筆者が半泣き状態だった往路編です。
なんで大学3年生にもなって、半泣きだったか??
全てこちらに書いてありますので、存分に笑ってやってください。
理由1:フライト、まさかの30分早まる。
いやまあ、ですね。
普通国際線って、搭乗開始の2,3時間前には空港に着いているものなんですよ、普通。
2,3時間前に着いていたら、大抵の事には対処できるじゃないですか、普通。
なんで筆者がここまで普通を繰り返すというと、普通が通用しなかったんですよね、今回(白目)。
「台風あるし、2時間半前には空港に着いて居ようかな~~」
ちゃんとその計画性は筆者にはありました。
だって、出国の日である7月28日は台風12号が関東に接近していたのですから。
それくらいの準備は当然であると言えます。
だがしかし。
成田空港に着く直前、フライトが30分早まった旨が成田空港のHPに乗せられていました。
マジか。
この時点で、筆者は空港着が2時間前になってしまったわけです。
見送りに来ていた家族で、そんなこともあるのかとぎゃあすか騒いでいましたが、ところがどっこい、それだけじゃあ終わらないんです。
私は今回ターキッシュエアラインズで渡航したんですが、ターキシュエアラインズのTK52便って最後のイスタンブールへ飛ぶ便なんですよね。
チェックインカウンターで私を待って居たのは、気持ち悪いくらい長い長蛇の列でした。
ターミナルに着いた時、いやまあこんな気持ち悪い列が自分のフライトのそれであるはずがない。
そんな風に楽観視していた私も多分3分ぐらいいました。
残念、自分のフライトです。
詳しいことはさすがに知りませんが、どうやら手続きミスとかもそこそこあったり、トルコ人帰省ラッシュだったりが重なったようです。あと台風。
ものの3分で超楽観的な自分と3分で分れたわけですが、10分以上並んだところで、救済措置がありました。
少なくともターキッシュエアラインズには、24時間前のオンライン・チェックインサービスなるものがあります。
フライトの24時間前からオンラインでチェックイン手続きを行い、空港では荷物を預けるだけで済むサービスです。
私はフライト当日の15時くらいにリマインドメールが来て、ちゃんとしっかり行っていました。
えらいぞ、あの時の自分。
おかげで、優先的に手続きを行うことが出来ました。
面倒な手続きやあと何十分待たなきゃいけないのかわからない位の長蛇の列からも解放されて、超幸せ!!
あとはのんびり搭乗待つだけ!
・
・
・
って思うじゃないですか。
違うんですよ。
今回、私のスマホ(iPhoneSE(au))はSIMロックを外していませんでした。
そのため、グローバルWi-Fiのレンタルを申し込んでいました。
(↓のページから申し込みました。)
で、そこの手続きにも手間取ったので、気付けば1時間前。
当初あったはずの余裕はどこかにお隠れになりました。
あなや~~~~~。
以上、半泣きになきかけた理由1「台風のせいで余裕が吹き飛んだ」でした。
国際便には余裕を持って登場しましょう(当たり前)。
慢心が命取りになります。
理由2:初のトランジット@魔境/イスタンブール・アタテュルク空港
13時間半程度のフライト。
とてもとても快適でした。
なぜか我が家には暗黙の了解があり、常に海外旅行は渡航先の航空会社を使っています。
イギリスに言った時はブリティッシュエアウェイズを使いました。
それもあって今回ターキッシュエアラインズを使ったのですが、めちゃくちゃ快適でした。
離陸して間もなく配られるお手拭きに、1人1つポーチ入りで配られるスリッパや耳栓、リップクリーム、歯ブラシetc...。
夕食と着陸前のごはんもおいしく、何故か出国審査時の金属チェックに引っかかったという事態を忘れさせてくれました。(この理由は2週間後のアンカラ・エセンボーア空港で発覚します)。
イスタンブールに着くころは、出国審査1分前まで姉と電話で喧嘩したこともいい思い出と昇華されていました。イイハナシダッタナー。
で、ここで問題。
筆者、これ初めてのトランジットなんですよね。
確かに私は今まで何度か海外に渡航しました。小学生の時のオーストラリア、高1のイギリス。
物心つく前にはグアムにも連れて行ってもらいました。
だがしかし、それ以前は常に同伴者がいました。保護者か添乗員が常に横にいました。
今回のトルコ行きは、保護者と添乗員は勿論、友人さえいませんでした。
理由は単純。今回の考古学フィールドコース2018に参加した筑波大学生、私だけだったからです。
正直心細いことこの上ありませんでした。
来年以降参加される方で、海外渡航に不安がある方は友達と参加するか、参加者と日本の空港で待ち合せするくらいの感覚をお勧めします。
不安で死ぬ。。。
(まじめな話として、大量の友人と行くと、そこのコミュニティで固まる危険性があり、それは折角トルコに発掘に行くのにどうよ、って話になりかねません。自身にあった自己成長プランを考えることをお勧めします)
そんな実質初の自力での海外渡航x初トランジット(深夜~早朝)。
心配性の筆者はイスタンブールのアタテュルク国際空港で飛行機を降りた時点で早速半泣きモードに入りました。
あっ、着陸30分前になると、自分の席のパネルから、トランジット先のゲートが確認できますヨ。
よし!確認した!やれることは全部やった!!
あゝ、無常。そんな風に思っていた私に試練は現れます。
国境の長いトンネルフライトを抜ける終えると雪国であったバスが待って居た。
・
・
・
は??????????
沖縄の(確か)石垣空港を5年ほど前に利用した際は、確かにサテライトはありませんでした。
いや、でも、天下の観光地たるイスタンブールがそれだとは思わないじゃないですか。
一応、2020五輪開催地の候補地に最後まで残り、一時期は世界の半分とかまで言われていた大都市、しかも圧倒的尊敬を国民から集めている建国の父の名前を冠するトルコ航空のハブ空港ですよ。
それがまさかのバスで飛行機からターミナルまで移動。
ターミナルに行くまでのサテライトが伸びていないだけでなく、飛行機からは階段が伸び、降りればバスに詰め込まれる。
初の1人身海外渡航者が不安にならないわけがない。
トルコ人のおっさんたちに囲まれながら「これで果たしてあっているんだろうか…」と不安になりながらバスに乗っていました。
しかし、真の半泣き状態はここからです。
very very入国審査に至るまでの道が長い。
流石天下のイスタンブール、アタテュルク国際空港、他の国へのトランジットにも使われています。
私の友人も、キエフ留学の際はターキッシュエアラインズでイスタンブールでのトランジットでした。
入国審査に至るまで、他の国へのトランジットの入り口が2個もあります。そしていずれも長蛇の列。
焦燥感に駆られている私がそこに引っかからないわけがない。
一瞬並びかけました。
…笑ってください。今!ここ!笑うところ!!酒の肴にして!!!!!
無事、そのトラップに気づいて入国審査の場所を探し始めるも、めちゃくちゃ遠い。
台風のおかげでトランジット時間が若干削られていたこともあり、めちゃくちゃ追い詰められた心境でした。
リアル。走れメロス状態。
さて、トランジットですが、空港によりますが、最低でも45分は確保するようにと言われています。
そのため、一応私の実際のフライトは1時間は搭乗開始までありました。一応。
走れ、私。飛行機ティヌスが私を待って居る。
……海外渡航初心者(方向音痴)が1時間で安心するとでも思いますかっての。
自慢じゃありませんが、私はたとえ23区内であったとしても、初めて行く場所で待ち合わせには20分ぐらい早めにつくように心がける位、見知らぬ土地では石橋をたたいて渡るタイプの人間です。
バッファー時間15分でやれるわけないだろうと悲観していました。
(そもそもアナウンスが流れるまで、アンカラ・エセンボーア空港で入国審査するもんだと思っていた人間)(入国審査は渡航先で最初に着いた空港で行います)
更にネガティブモードを加速させた原因:入国審査を受けた時には搭乗開始予定時間まで残り30分。
アタテュルク空港は私を殺す気かな??と思いつつも、道案内が示す通り、国内線トランジットへの道を走ります。30分で終わりが見えない道はしんどいofしんどいof theワールドでした。
トランジットの更なる試練:国内線と国際線が別のターミナルだなんて聞いてない。
道案内が示すままに走ると、なんと到着ゲートを通り抜けるんです!なんと!!
半泣き状態がクライマックスでした。
案内所のお姉さんやおっさんに3回も「アンカラ行きの便はどこ????」と聞きながら、なんとか到着口を左折して隣のビルに走り、荷物チェック(当日n回目)をパスしてアンカラ行きの搭乗口まで到着いたしました。
ここでようやく同じフライトに乗っていた明治大学の4人組と合流でき、筆者の半泣き状態は殆ど終わりを迎えます。
でも、終わりじゃないんだな、これが。
察しのいい方はタイトル見た時点で気づかれたと思いますが、トランジット後も波瀾万丈な往路でした。
(2つに分けないと終わらない位色々ありました)
次回予告:イスタンブールで英語が通じたという事実により、オオゴケする未来。
冗談抜きで実質人権を失うまでの状態に陥ります。
研究所までの往路編で詳しく描きますが、心境としては、「アッ、シンダ」でした。
仮に私がTOEIC満点持ちだとしても、当時の心境に大差はなかったでしょう。
とはいえ、以上、半泣きの理由2:初の自力海外ぼっち渡航x初トランジット(深夜~早朝)がハードモードだった。でした。
試練を乗り越えた後に観る、朝5時のかつての都の日の出は最高のご褒美でした。