西アジアを中心として呟くこと

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第248回アナトリア学勉強会「トルコ外交の基軸は変わったのか」参加しました。

お久しぶりです。相も変わらず講演会や博物館にふらふら顔を出す日々が続いております。

 

さて、本日の筆者は中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所が定期的に開催している、アナトリア学勉強会に参加してきた。

実は今までも参加したかった会はあったのだが、日程の都合で今回が初めての参加になった。

 

さて、今回のテーマは「トルコ外交」についてである。

考古学関係なじゃん!と思われた方もいるだろう。

しかし、冒頭で同研究所の大村先生によれば、「考古学(おそらく過去に関する学問の意)に従事する者こそが歴史を語らなければいけない。私たちは綿々とつながる過去を学ぶことで、未来を予測することができるのだ」

つまり、歴史に学べ、ということである。

また、語弊を恐れずに言えば民族性というものも世の中存在する。

そういったものも歴史を読み解くことでより一層分かってくるというものである。

 

さて、今回の講演会ではジェトロ・アジア経済研究所より、今井先生がプレゼンを担当なさっていた。

トルコ外交には5つの軸、即ち

・西洋を重視した外交

・中東をはじめとしたイスラーム諸国を重視した外交

テュルク系民族を重視した外交

オスマン帝国時代の歴史を重視した外交

・ロシアを重視した外交

である。

 

前回の投稿のように、学んだほぼすべてをここに書き記すことはあるいは可能であろう。

しかしながら、それを勉強会で拝聴した身がすることは粋ではないと考える為、特に印象に残った事のみを取り上げたい。

 

まず印象に残ったのは、トルコ外交から見る、西洋の価値観の絶対性がますます薄れていることである。

トルコといえば、誰もが中高の教育で学ぶように、EU加盟交渉国であり、その背景はトルコ共和国成立史と共に学ぶものである。

そしてそのためにトルコはケマル・アタチュルクおよび彼の理念を引き継いで、西洋化を目指してきた。

しかしながら、最近のトルコ外交はその傾向を弱め、寧ろ悪い言い方をすれば独裁制に近い政治を取ってきている。

その結果、トルコはFreedom Hause調査によれば「民主的ではない国」のカテゴリに入ってしまったのだという。

とはいえ、トルコの現状は国民には受け入れられている。

つまり、欧米が理想とする民主主義はトルコ全体に浸透していないと考えても問題はないだろう。

残念ながら前回の考古学に引き続き不慣れな分野である思想の話になってしまうが、ポスト・モダン以降では、絶対的な価値はない、2項対立の構図というものが使えなくなってきた。

正義というものが絶対的ではなくなってきた。

その余波はとうとう資本主義やそれを支える民主主義にまで及んだのではないだろうか。

あるいは民主主義という政治体系自体、キリスト教に由来するものである。

民主主義を強要することは、ある種の価値観の押し付けであり、多文化主義という現代のトレンドを無視することになり得るのかもしれない。

 

2番目に印象的であったのは、トルコ外交における柔軟さであろう。

悪く言えば八方美人ということも出来るだろう。

しかしながら、気になったのは今井先生の発言「非常にプラグマティックであるために、定点をもった国、例えばヨーロッパなどの国とは非常に相性が悪い外交」である。

成程、そのような側面もあるだろう。

だが、筆者が気になったのはそこではない。

近年力を伸ばしている国、例えばロシアや中国、これらの国も今井先生によればプラグマティックな側面を持つという。

さて、中国といえば、ウイグル人に対する非常に抑圧的な姿勢で知られている。

しかし、トルコはウイグル人に対して非常に友好的に接し、中国に要人が訪れる際はほぼ必ずウイグル自治区によってから北京に入るという。

他方、両国ともに実際の階段では暗黙の了解として、ウイグル人をトルコ要人が訪問したことをなかったことにしているという。

他にも、ロシアとトルコはシリア内線でロシア機追撃事件を受けて、経済制裁などがなされるなど非常にハードな時期もあったにかかわらず、今現在は蜜月状態であるという。

アメリカへの当てつけという観点もあるが、その変わり身の早さにはとても驚かされる。

さて、筆者が強調したいのは、その柔軟性である。

多様な価値観が存在する中、戦略的柔軟さがあるいは外交を助けるのかもしれない。

勿論、民族性などといった要素にも多分に作用されるために、そんなに簡単にはいかにのだけれども。

それでも、自国の利益が第1になる方法を徹底して追求していく姿勢、そのために今までの同盟国に対しすげない態度をとる割り切った態度は今後必要なのかもしれない。

 

さて、他にも気になる所、例えばなんでトルコはカタールに肩入れしてるの?とかトルコ外交における中東の範囲が湾岸まで広がったのはなんで?という疑問は尽きないが、今回の投稿ではここまでにしたい。

 

今後の展望として画、トルコ外交やそういった要素からも、世界、あるいは過去の世界を眺めたいものだ。

現代社会こそが過去に遭った出来事をどのように定義づけるのかを決め、そしてそれは常に変動していくものである。

現代を対象にする学問も、過去や形而上の事を扱う学問も、両方やってこその学問なのではないだろうか。