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トルコ滞在2018~往路編:イスタンブールまで~

 お久しぶりです。
準備編を書き上げた直後に大腸炎をやらかすというポンコツっぷりを発揮してしまい、更新にブランクが開いてしまいました。
しかい、ちゃんと最後まで書ききるつもりですので、安心して今回の報告をお待ちください!

前回の準備編はこちらから。

geschichte40.hatenadiary.jp

 

 

 さて、今回は往路編です。

 めちゃくちゃ筆者が半泣き状態だった往路編です。
なんで大学3年生にもなって、半泣きだったか??
全てこちらに書いてありますので、存分に笑ってやってください。

 

 

理由1:フライト、まさかの30分早まる。

 いやまあ、ですね。
普通国際線って、搭乗開始の2,3時間前には空港に着いているものなんですよ、普通。

2,3時間前に着いていたら、大抵の事には対処できるじゃないですか、普通。

 なんで筆者がここまで普通を繰り返すというと、普通が通用しなかったんですよね、今回(白目)。

 

「台風あるし、2時間半前には空港に着いて居ようかな~~」

 

 ちゃんとその計画性は筆者にはありました。
だって、出国の日である7月28日は台風12号が関東に接近していたのですから。
それくらいの準備は当然であると言えます。

 

だがしかし。

 

成田空港に着く直前、フライトが30分早まった旨が成田空港のHPに乗せられていました。

マジか。

この時点で、筆者は空港着が2時間前になってしまったわけです。

見送りに来ていた家族で、そんなこともあるのかとぎゃあすか騒いでいましたが、ところがどっこい、それだけじゃあ終わらないんです

私は今回ターキッシュエアラインズで渡航したんですが、ターキシュエアラインズのTK52便って最後のイスタンブールへ飛ぶ便なんですよね。

チェックインカウンターで私を待って居たのは、気持ち悪いくらい長い長蛇の列でした。

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ターミナルに着いた時、いやまあこんな気持ち悪い列が自分のフライトのそれであるはずがない。
そんな風に楽観視していた私も多分3分ぐらいいました。

残念、自分のフライトです。

詳しいことはさすがに知りませんが、どうやら手続きミスとかもそこそこあったり、トルコ人帰省ラッシュだったりが重なったようです。あと台風。

ものの3分で超楽観的な自分と3分で分れたわけですが、10分以上並んだところで、救済措置がありました。

 

 少なくともターキッシュエアラインズには、24時間前のオンライン・チェックインサービスなるものがあります。

フライトの24時間前からオンラインでチェックイン手続きを行い、空港では荷物を預けるだけで済むサービスです。

私はフライト当日の15時くらいにリマインドメールが来て、ちゃんとしっかり行っていました。

えらいぞ、あの時の自分。

おかげで、優先的に手続きを行うことが出来ました。

面倒な手続きやあと何十分待たなきゃいけないのかわからない位の長蛇の列からも解放されて、超幸せ!!

あとはのんびり搭乗待つだけ!

 

 

って思うじゃないですか。

 

違うんですよ。

 

今回、私のスマホ(iPhoneSE(au))はSIMロックを外していませんでした。

そのため、グローバルWi-Fiのレンタルを申し込んでいました。

(↓のページから申し込みました。)

townwifi.com

で、そこの手続きにも手間取ったので、気付けば1時間前。

当初あったはずの余裕はどこかにお隠れになりました。

あなや~~~~~。

以上、半泣きになきかけた理由1「台風のせいで余裕が吹き飛んだ」でした。

国際便には余裕を持って登場しましょう(当たり前)。

慢心が命取りになります。

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理由2:初のトランジット@魔境/イスタンブール・アタテュルク空港

13時間半程度のフライト。

とてもとても快適でした。

なぜか我が家には暗黙の了解があり、常に海外旅行は渡航先の航空会社を使っています。
イギリスに言った時はブリティッシュエアウェイズを使いました。

それもあって今回ターキッシュエアラインズを使ったのですが、めちゃくちゃ快適でした。

離陸して間もなく配られるお手拭きに、1人1つポーチ入りで配られるスリッパや耳栓、リップクリーム、歯ブラシetc...。

夕食と着陸前のごはんもおいしく、何故か出国審査時の金属チェックに引っかかったという事態を忘れさせてくれました。(この理由は2週間後のアンカラ・エセンボーア空港で発覚します)。

イスタンブールに着くころは、出国審査1分前まで姉と電話で喧嘩したこともいい思い出と昇華されていました。イイハナシダッタナー。

 

で、ここで問題。

 

筆者、これ初めてのトランジットなんですよね。

確かに私は今まで何度か海外に渡航しました。小学生の時のオーストラリア、高1のイギリス。
物心つく前にはグアムにも連れて行ってもらいました。

だがしかし、それ以前は常に同伴者がいました。保護者か添乗員が常に横にいました。

 

今回のトルコ行きは、保護者と添乗員は勿論、友人さえいませんでした

 

理由は単純。今回の考古学フィールドコース2018に参加した筑波大学生、私だけだったからです。

正直心細いことこの上ありませんでした。

来年以降参加される方で、海外渡航に不安がある方は友達と参加するか、参加者と日本の空港で待ち合せするくらいの感覚をお勧めします。

不安で死ぬ。。。

(まじめな話として、大量の友人と行くと、そこのコミュニティで固まる危険性があり、それは折角トルコに発掘に行くのにどうよ、って話になりかねません。自身にあった自己成長プランを考えることをお勧めします)

 

そんな実質初の自力での海外渡航x初トランジット(深夜~早朝)

 

心配性の筆者はイスタンブールアタテュルク国際空港で飛行機を降りた時点で早速半泣きモードに入りました。

あっ、着陸30分前になると、自分の席のパネルから、トランジット先のゲートが確認できますヨ。

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よし!確認した!やれることは全部やった!!

 

あゝ、無常。そんな風に思っていた私に試練は現れます。

 

国境の長いトンネルフライトを抜ける終えると雪国であったバスが待って居た。

 

 

は??????????

 

沖縄の(確か)石垣空港を5年ほど前に利用した際は、確かにサテライトはありませんでした。

いや、でも、天下の観光地たるイスタンブールがそれだとは思わないじゃないですか。

一応、2020五輪開催地の候補地に最後まで残り、一時期は世界の半分とかまで言われていた大都市、しかも圧倒的尊敬を国民から集めている建国の父の名前を冠するトルコ航空ハブ空港ですよ。

それがまさかのバスで飛行機からターミナルまで移動。

ターミナルに行くまでのサテライトが伸びていないだけでなく、飛行機からは階段が伸び、降りればバスに詰め込まれる。

初の1人身海外渡航者が不安にならないわけがない。

トルコ人のおっさんたちに囲まれながら「これで果たしてあっているんだろうか…」と不安になりながらバスに乗っていました。

しかし、真の半泣き状態はここからです。

 

very very入国審査に至るまでの道が長い。

 

流石天下のイスタンブールアタテュルク国際空港、他の国へのトランジットにも使われています。

私の友人も、キエフ留学の際はターキッシュエアラインズでイスタンブールでのトランジットでした。

入国審査に至るまで、他の国へのトランジットの入り口が2個もあります。そしていずれも長蛇の列。

焦燥感に駆られている私がそこに引っかからないわけがない。

一瞬並びかけました。

 

…笑ってください。今!ここ!笑うところ!!酒の肴にして!!!!!

 

無事、そのトラップに気づいて入国審査の場所を探し始めるも、めちゃくちゃ遠い。

台風のおかげでトランジット時間が若干削られていたこともあり、めちゃくちゃ追い詰められた心境でした。

リアル。走れメロス状態。

 

さて、トランジットですが、空港によりますが、最低でも45分は確保するようにと言われています。
そのため、一応私の実際のフライトは1時間は搭乗開始までありました。一応。

 

走れ、私。飛行機ティヌスが私を待って居る。

 

……海外渡航初心者(方向音痴)が1時間で安心するとでも思いますかっての。

 

自慢じゃありませんが、私はたとえ23区内であったとしても、初めて行く場所で待ち合わせには20分ぐらい早めにつくように心がける位、見知らぬ土地では石橋をたたいて渡るタイプの人間です。

バッファー時間15分でやれるわけないだろうと悲観していました。

(そもそもアナウンスが流れるまで、アンカラ・エセンボーア空港で入国審査するもんだと思っていた人間)(入国審査は渡航先で最初に着いた空港で行います)

 

更にネガティブモードを加速させた原因:入国審査を受けた時には搭乗開始予定時間まで残り30分。

 

アタテュルク空港は私を殺す気かな??と思いつつも、道案内が示す通り、国内線トランジットへの道を走ります。30分で終わりが見えない道はしんどいofしんどいof theワールドでした。

 

トランジットの更なる試練:国内線と国際線が別のターミナルだなんて聞いてない

 

道案内が示すままに走ると、なんと到着ゲートを通り抜けるんです!なんと!!

 

半泣き状態がクライマックスでした。

 

案内所のお姉さんやおっさんに3回も「アンカラ行きの便はどこ????」と聞きながら、なんとか到着口を左折して隣のビルに走り、荷物チェック(当日n回目)をパスしてアンカラ行きの搭乗口まで到着いたしました。

 

ここでようやく同じフライトに乗っていた明治大学の4人組と合流でき、筆者の半泣き状態は殆ど終わりを迎えます。

 

でも、終わりじゃないんだな、これが。

察しのいい方はタイトル見た時点で気づかれたと思いますが、トランジット後も波瀾万丈な往路でした。

(2つに分けないと終わらない位色々ありました)

 

次回予告:イスタンブールで英語が通じたという事実により、オオゴケする未来。

冗談抜きで実質人権を失うまでの状態に陥ります。

研究所までの往路編で詳しく描きますが、心境としては、「アッ、シンダ」でした。

仮に私がTOEIC満点持ちだとしても、当時の心境に大差はなかったでしょう。

 

とはいえ、以上、半泣きの理由2:初の自力海外ぼっち渡航x初トランジット(深夜~早朝)がハードモードだった。でした。

 

試練を乗り越えた後に観る、朝5時のかつての都の日の出は最高のご褒美でした。

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