西アジアを中心として呟くこと

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イベントを創る~第1回言つくばを終えて~

※当記事は個人による見解です。

 

昨日、5/27に所属大学で学生による”言つくば”という学内イベントを実施した。

言語学に関して有志が登壇し、自分の研究発表を行うという会だった。

私は今回運営と司会に徹し、7人の登壇サポートに回った。

それぞれの内容へのコメントは控えるが、未熟な運営にも拘らず、あんなにも質の高いプレゼンをしてもらったことには本当に感謝しかない。

「○○はいいぞ」を合言葉のように使い、自身の推し言語についてあそこまで勝たれる方が初回にも拘らず7人も集まったというのは驚きである。

今回は運営と司会に徹したが、オリエント史を学ぶものとして、次回以降登壇する機会があれば私も推し言語であるシュメル語について話したいものだ。

 

さて、今回学んだことがいくつかある。

まずイベントを作るという事自体はそこまで壁の厚いものではない。

より質の高いものを求めようとすると壁が厚くなるのであり、極端な話、プレゼンをするイベントというのは「場所」「登壇者」「参加者」がいればできてしまうのである。

という訳でその質を上げるためのノウハウをここに蓄積したい。

その際、5W1Hの形を用いる。

 

WHEN

いつやるか?

これに関しては、私は非登壇者に寄せるべきだと考えている。

何故か?

それはWHOの項目で述べたい。

今回は筑波大学宿舎祭の翌日に設定してしまったが、これは私含めた運営側が3年であるために1年主体で行われる祭に配慮するのを完全に失念してしまったためだ。

そのため、今回1年生を中心として「参加したいが参加できない」という声を多々出してしまうという結果に陥ってしまった。

 

WHERE

これに関しては敢えて書く必要性はないと思ったので割愛する。

 

WHO

他の言葉で言い換えるのならば、ペルソナに該当するだろう。

今回は特にこれが弱かったかなあ、と私は反省している。

それはともかく、今回のようなイベントの場合、ペルソナは2者考えられる。

登壇者と非登壇者である。

まず、登壇者に関して言及するならば、彼・彼女らはテーマに合うコンテンツをもっているなどの様々な要素を持っている。

が、今回はそこまで登壇者には言及しない。

非登壇者こそが重要なのではないか。

イベント後に非登壇者にどうなってほしいのか、それを最も考えるべきではないか。

またイベントが成功したかどうかは非登壇者による。

どれほどの集客率でどれほど熱中できるイベントを作れたか。

また、それが連続性のあるものかどうか。

それが全てだ。

そして特に連続性は現1.2年生に頼らざるを得ない。

そういう意味でも彼・彼女らを特に意識するべきだ。

それ故に私はWHENも非登壇者に合わせるべきだと感じている。

 

WHAT

勿論このイベントなので細かくは書かない。

 

WHY

これが最重要だと考える。

ことの始まりである第1回哲つくばはともかく、後続のつくばには目的が必要だなあ、と痛感。

何のためにイベントを開くのか。

単純に話したい人がいるからか、聞きたい人がいるからか。

その理由を方向性は違っても明確に理由づけしないと運営の方向性がズレるなあ、と反省した。

私の理想としては、SDGsの”No one left behind”ではないが、誰もお客様気分で参加してほしくはない。

そのためになぜ○○つくばを行なうのか、それを常に問い続けるべきだと感じた。

誤解を避けるために、勿論「俺得だからだよ!!」っていう開き直りも余裕でありな理由であることは付け加えておく。

 

HOW

それが上述のとおりである。

どうやって、が今回の趣旨なのである。

 

番外編

因みに上記に含められなかったこととしては、ヘイトを生まないような仕組みを作ること。

これはあくまで有志による研究発表の場であり、批判しあったりそれを評価するような場ではない。

誰が上でも下でもなく、等しく学問を追求するものなのである。

故に先生方は参加すると評価する側になりかねない、と参加を自粛なさっているわけで…。

つまり、マウントの取り合い、意見の殴り合い、ヘイトは論外なのだ。

これを徹底した風土を作らねばいけないと感じた。

とはいえ、それで言論の自由を侵害するつもりもなく。

むしろ積極的にいろんな人からのコメントを集めたい。

どのような塩梅が最適かは結局今回は答えを出すことが出来なかった。

 

次に、”当事者意識”を共有すること。

イベントの参加なんて、誰にでもできるが、そこに如何に参加するかはその人次第。

登壇者も非登壇者も運営も一緒に創るようなイベントでなければいけないと感じた。

その点、今回の言つくばは0点なので、私からは現状何も具体的には提案できないが、○○つくばでのプレゼンを見て、「よし次は自分が発表しよう」という循環が生まれれば最高なんじゃないかと漠然と考えている。

筑波大学人文大全」に限った話ではないが、Twitterに自分の意見を捨て置くのならば、もう少し残りやすい形で残した方がマシではないか、という話。

多分この点をもっと意識しないと○○つくばは第1回、あるいは数年で終わるという危険性を持っているのではないか。

 

 

以上簡潔に纏めたのだが、正直まだまだなアウトプットであるので、今後もう少しブラッシュアップした意見を出せるように努力したい。

取り敢えず、記憶が新しいうちに書いておいた記事、という位置づけで解釈をお願いしたい。

また、生産的なコメントをお待ちしております。

かなりの確率でver.2を出すでしょう。