西アジアを中心として呟くこと

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高校と大学を繋ぐ(後)

前半では「大学入るなら、親権者に学費投資されるだけの人間になろうぜ!」って話をしだけですが、後半については投資されるに足る人材の育て方を高校教育の側面から考えたいです。


既にご察しの方はいるとは思いますが、私は今の教育形態に大きく不満を持っています。

何故か。


それはただの大学受験のための予備校と化しているからです。

私は都内の某私立高校卒業生なのですが、母校の"ランク"が下がってきてるのを見ながら過ごしてきました。

東大に何人受かったか、国立大に何人行って、医学部は何人だ。

そんな実績が重視されているわけです。


そりゃあ親の皆様にとっては、学校の実績が高校選びにはとても重要でしょう。

前編でも申し上げたように、大学に行くには高卒レベルの教育を受けることが必須です。

既に高等学校の価値というのは大学受験のための教育と化しています。

(そもそも私自身、大学生活をなんとなく過ごすくらいなら大学行くなよという思考の持ち主なので、これ自体もどうかとは思いますが流石に割愛)


それ自体は今の時代的に仕方ないとしましょう。

しかし、一部私立学校の「それはどうなのよ?」という方針があります。

それは「予備校があるから~」そんなスタンスです。


別に予備校というサービスが悪いとも思いませんし、それだけの財力や熱意などがあるなら、使っても全然構わないと思います。

けれど、私立高校の「だからブランドだけを提供する」。

そんなスタンスは流石にどうかと思うのですよ。


私の母校で例えると、流石に学校全体としては、原則予備校にはいかない、でしたが、有名無実と化した方針でした。

挙げ句の果てには上述の「予備校あるでしょ」的な発言をする教師もいました。


同じく都内出身でも公立校出身の友人に聞く限り、公立校では流石にそういう自体は存在しないそうですが、私立高校は割りかしどこも似た状況なのかな?と思います。


予備校などに頼りながらも、それまでの大学受験のための教育を行うからこそ、生徒たちはうまく高校と大学の間の端つなぎを出来ず、そのために前でも申し上げたような挫折を味わうのではないでしょうか。


さて、そのような現状に際して高校での教育には何が求められているのか。


私はちょっとの努力でそれを変えることができると思います。

首都圏や地方、確かに抱える問題は種々多様で、地方には首都圏で起きている問題は存在しないかもしれません。

しかしながら、少なくとも、大学に進学しても何をすればいいのか分からない、やりたい学問がない、思っていた学問との間に落差が存在する。


もし今後大学受験対策的な勉強を高校ではなく予備校がカバーするのがより一般的になったのなら。

高校の教育は無理をして大学受験対策の為の勉強をする必要性はないのではないでしょうか。


それよりも、大学に入ってからの挫折を防ぐ、そんな教育に力を入れるべきではないでしょうか。

(そもそも高校までと大学以降の教育があまりにも違いすぎるのも問題ですが)


というか大学で挫折を経験して学ばないのなら、何のために高校までの勉強を頑張るんだよ…って話にもなりますよね。


遊ぶため。デデーン。


…。

で、前編でその遊ぶためを否定したわけですね。

 

というか、そう言った人間性を育てたり課題解決のための能力を培わなくて何が教育ですか、というお話。

 

閑話休題

地味に私はゆとり教育という思想自体は支持して居ます。

教える知識なんてがっつり減らして良いと思いますよ。

例えば世界史だったら通史のストーリーを自分のものとする、みたいな一定以上の水準をクリアすれば、敢えてそれ以上をする必要性はないと思います。


では空いた時間で何をするのか。


私はこの時間で各教科の枠組みで少しずつ専門的なことをしていくといいと思います。

例えば言語学ってこんな学問。

世界史では通史をやるけれど、大学では全く違う。

文献学的に色んな言語を扱う可能性がある。

哲学は…。

あるいは理系科目は…。


そんな風に高校生に大学で広がる世界のその一端を見せることが良いと思います。


確かにオープンキャンパスなどで大学のカリキュラムなどと言ったハード面で大学生活に触れるでしょう。

そうではなく、ソフト面、つまり教育の中身で大学での教育に繋げていくべきだと思います。

勿論紹介だけで終わらせずに、それをら形に残すことが必要です。


ああ、この学問は面白そう。

いや、この学問は自分には合わない。

長い時間をかけて、自分が何をやりたいのかを深ぼっていくのです。


そこで、勉強は嫌いだ!となったら前編に戻る、ですが。


雑な文にはなってしまいましたが、結論としてはこうです。

 


大学は思考停止で行くべきところではない。

というのも、遊びに行くために行くところとしては、親権者にかける負担が大きすぎる。

そのために、親権者が学費を払っても良いと思うような理由を持って進学すべきであり、18歳以上で選挙権を持つならばその程度の判断は出来るものとみなされて良いはずだ。


またその判断をし、大学入学後に挫折を味わない為には、高校教育から大学との教育との間を繋ぐような教育が必要不可欠である。

 


まだまだ未熟なところもある上に煩雑な文章です。

皆様の感想や質問などお待ちしております。