西アジアを中心として呟くこと

西アジアを中心として色々投稿していきます。

西アジア史なんてやってるわけ

こんにちは。

ブログの方に何を書こうかな…と悩んだところ、未だ自分が何故西アジア史をやってるのかを公開してませんでした。

なので、今回はこれを扱いたいと思います。


あっ、その前に注意事項がいくつか。


この記事では赤裸々に自分の小学生~高校生時代について書いております。

正直に言って私の態度が悪いと思われたり、生徒としてこれはどうなんだ、という記述があるかもしれません。

私自身後になって反省している所もありますが、今の私を形成する要因になった過去の事実です。

ご容赦ください。


またある種の無宗教な人間が書いているため、読者の皆様の信仰に配慮しない物言いとなっております。


以上留意の上でお読み下さい。

さて、本題に参りましょう。


私は実は小学校~高校までを私立学校で過ごしてきました。

さてその学園、ミッション系と呼ばれるカトリック系の学校でした。

設立母体がフランスの修道女会のため、小学生の時から道徳教育の代わりに宗教の授業を行う、そんな教育を受けてきました。


宗教の授業では、聖書の1シーンを取り上げてその解釈を行なっていく…そんなことをやってました。


でも正直私その教育そこまで好きじゃなかったんですよね()。

というのも主に扱われたのは新約聖書

私は捻くれている人間なので、「いやイエスにももっと人間らしさが溢れるエピソードとかあったでしょ」なんて普通に思ってました。

それに旧約聖書ノアの箱舟の話やペリシテ人との戦いも「だから?嘘でしょ??」そんな風に流していました。

しかも、エピソードも毎回決まっていたり。

だんだんと飽きてきました()。

飽きたのに関しては、事前に小学生用の聖書を何周も読んでしまったために内容をほとんど暗記してしまったこともあって若干自業自得感は否めませんが。白目


でもこの授業、たまに校長先生が担当なさっていたんですよね。


だから寝たり内職なんていうのは論外でした。

それでも、何百回も聞いた聖書のエピソードを今更聞き直すモチベーションなんてある訳でもなく。


なので私は宗教の時間では、自分が最も興味があると感じていた部分をいつも読んでいました。

そう、旧約聖書の「列王記」です。


私の感想としては、「列王記」やその前後の時系列は旧約聖書の中でも特に歴史書に近い部分であると感じています。

正直ノアが方舟作ったりモーセが海を割ったりするエピソードよりも、サムソンとデリラのエピソードを通してみるイスラエル人入植の歴史やサウルからダビデ、ソロモンのイスラエル王国統治史のほうがリアリティがあって面白かったです。

(勿論サムソンの怪力が…はアレですけれど、ペリシテ人のスパイが…みたいな話は子供心をくすぐると思いませんか?)

特にダビデの治世には反乱もあって、「ダビデさんちのおうちだいじょうぶかな?」みたいな叙述も残ってます。

脱線しますが、アブサロムの乱とかは人間臭さしかなくてとっても好きでした。

てか何やってんのさ、ダビデさんち…。


さて、聖書の中で歴史書な部分が好きだった私は歴史にも興味があると同時に、各地の神話にも興味を持ちました。

ギリシア・ローマ、インド、日本、中国、ゲルマン、ケルト、そしてメソポタミア

メソポタミア神話、主神が時代によって変化して行く様や都市にも主神がいることにも興味を覚えたのですが、一番驚いたのはギルガメシュ叙事詩のウト・ナピシュティムの伝説です。


これ、人が煩いからという理由で神々が人を洪水で滅ぼそうとするけれども、ウト・ナピシュティムはとある神の助けで助かった…そんな話です。


ん?


どっかで聞いたことがある話ですね。


そう、これ、ノアの箱船の元ネタなんです。


他にも類似伝説はあって、その類似形態の1つがノアの箱船ということです。


つまり、今の世の中キリスト教をルーツとする西洋諸国の価値観がマジョリティになってますが、その根幹である聖書はなんと今情勢不安定な中東(以下西アジア)にルーツを持っているんです。


でも冷静に考えてみればそうですよね。

旧約聖書の舞台はエジプト~パレスチナ

新訳もまた然り。

当時の文化の中心地の影響を受けていておかしくないわけです。

近年は出エジプトですら否定されているというのもありますし、ますますメソポタミアの影響下にあったのかもしれません。


てことを考えると、旧約聖書をルーツに持つ宗教、つまりユダヤ教キリスト教、そしてイスラームは同じメソポタミア系文化というバックボーンを持つということができるのではないでしょうか。


また、現代イスラームは商業倫理に優れていると言われています。

ところが、それはユダヤ人にも共通していて、更にはメソポタミア世界も商業が活発でした。


そうすると、いつぞやのユダヤ人指導者がキリスト教イスラームの争いに関して「我々の愚かな弟妹達が争っている」と評したそうですが、それら引っくるめてメソポタミア文明の子供なのかもしれない。


だとしたら、今のようにお互いを忌避して極端に避ける潮流はおかしいんじゃないんだろうか。


もし、イスラームがその前後で歴史の分断をしていないのなら、ますますおかしい話ではないだろうか。


古代オリエントは西洋世界の過去だけではなく、イスラームにとっての過去であるならば、それを共有すれば良いのではないか。


まずその為にはイスラームという宗教勃興という壁を超えて連続して保たれているものを探すべきだ。

ひょっとしたらそれは商業であるのかもしれない。


だからこそ大元のメソポタミアの商業について調べ、それをイスラームの商業と比較する。

それをやりたいから西アジア史なんて側から見たら誰の役に立つか分からないような学問やってます。