西アジアを中心として呟くこと

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河に流される系貴種流離譚、キュロス、モーセ、そしてサルゴン

お久しぶりです。
記事事態は数か月ぶりですが、相変わらず色んな所に顔を出しています。

先日、池袋サンシャインシティ文化会館7階にある、古代オリエント博物館で行われた月本昭男先生による講演会に参加してきました。
タイトルは『ペルシア大王キュロスをめぐる諸伝承』

今回のテーマは(イチオウ約2千年続いたことにナッテイル)ペルシャ帝国の初代、キュロス大王とその伝承についてでした。この王(シャー)はキュロス2世とかクル2世とかと呼ばれています。

私自身の専門は紀元前2千年紀のイラクの社会経済史で、実はペルシャ帝国などにはあまり触れないのですが、オリエントに関するすそ野を広げる為、そして何より昨年度履修した授業でアケメネス朝ペルシャについて扱ったことから参加を決めました。
その授業でいかにしてキュロス2世が出現したかというと、アケメネス朝という言葉の使い方に関してでした。

授業によれば、アケメネス朝の”アケメネス”はキュロスの代には使われておらず、そのためにキュロスはアケメネス家の出身でない可能性があるそうです。
マジか。

というのも、ダレイオス1世(ダーラヤワウ1世)が王位を簒奪して、その正統性を確立するためにキュロス大王らの系譜に遡って、自分達は”アケメネス(ハカーマニシュ)家の出身である、そう主張した可能性が否めないそうです。
だから厳密にはダレイオス1世以前のペルシャ帝国はアケメネス(ハカーマニシュ)朝とは言えないかもしれない。

ですが、肝心の講演会ではその問題については言及せず。
残念ながら何故かはお聞きすることは出来ませんでした。(まあ本筋でもないし、専門的すぎるし…涙)

が、面白い話ももちろん聞けました。

貴種流離譚というテンプレがあります。

後に英雄になるような高貴な人物が最初捨てられるなり、追放されるなりして各地を放浪した後、再び高貴な人物として帰還する、というテンプレです。
この言葉はスサノオノミコトの天下原を追放されたが、後に八岐大蛇を追放して英雄となり、出雲の国主となった。
そのエピソードを元に貴種流離譚という言葉が作られたそうです。

が、なんとキュロス2世の伝承はこの貴種流離譚に該当するものがあるそうです。

伝承によれば、キュロスの祖父王が自身の娘から生まれるものがメソポタミア全土を覆いつくす。。。みたいな夢を見たそうです。
そしてその結果、自身の孫がそれに該当すると思ったので、(別の国の王子にも拘らず)自分の孫を殺すように腹心の部下に命じました。

が、お決まりのパターンでその部下は殺せずに、羊飼いに殺すように託しますが、羊飼いはちょうど息子が死んだばかりなので、キュロスを自身の子供として育てます。
そして、育ったキュロスには王の風格が備わっていき、、、というようにストーリーが進んでいきます。

詳細は調べて頂けきたいと思いますが、これ、結構あるパターンなんですよね。

例えば有名どころならば、オイディプス王があげられます。
父親殺しを予言された彼は殺される運命でしたが、実は生かされ、実の両親を知らずに育った結果予言を成就してしまいます。

講演で扱われたのはオイディプス王よりも有名な逸話、そうモーセです。

モーセはエジプトにいたユダヤ人の子供でしたが、増えすぎたユダヤ人を減らすためにユダヤ人の子供を殺すように出た命令が彼が赤子の時に出されました。
が、母親と姉が哀れに思って、彼を籠に入れてナイル川に流したところ、ファラオの娘が拾って、ラムセス2世(仮)と共に育てられるようになります。
しかし成長して、ユダヤ人を迫害するエジプト人監督官を殺したために荒野に逃げて羊飼いとして流浪したのに、神の啓示を受けます。
そしてラムセス2世(根拠ないです)と決別して、ユダヤ人を率いて出エジプト(エクソダス)をし、人々を約束の地に向わせようとしたのでした。

これと似てるよね。
そういうお話でした。

で、キュロスの功績の一つに、アッシリア帝国が行った強制移住政策から人々を解放した、ということがあります。
この人々の中に、ユダヤ人が含まれていました。
その結果、ユダヤ人からキュロスはメシヤ(救い主)であるとみなされるようになりました。

どちらが先かは不明ですが、ユダヤ人がそうとうキュロスを意識して、キュロスをそれこそイエス並みに奉ったことは確かなようです。

エスが救世主を自称したときは反発した人たちもいたのに、対応が真逆ですね(笑)。

さて、このような講演を踏まえ、帰り道に筆者が連想したことがあります。

あれ、また別の川に流される系貴種流離譚atメソポタミアがあるぞ、と。

アッカド帝国のサルゴンです。
この人も実は幼少期に川に流されています(言い方)。

ひょっとしたら、キュロスの伝承はサルゴンの伝説をもとにしているのかもしれない。
でも元ネタに相当するサルゴンの伝承はどこから出てきたのだろう。

ひょっとしたら、河というのが私が知っている以上にメソポタミア文明において重要な存在であり、河から戻ってくるということが彼等のメンタリティにとって重要な事柄であったのかもしれない。

実際ハンムラビ法典でも、人を呪った罪に問われた人は簀巻きにされて川に投げ込まれますが、生還した場合は無実という神名裁判が行われていました。
更に、メソポタミアの人々にとって、河は灌漑農業にとって重要であっただけでなく、衛生や交易にとっても重要なものでした。

当時の人々にとっての川ってなんなんだろう。

そう思わざるを得ない講演会でした。

機会があったら、メソポタミアにおける河の存在というのも調べていきたいですね。