西アジアを中心として呟くこと

西アジアを中心として色々投稿していきます。

GODIVAってトルコ資本ってまじぽん!?

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今朝のことです。

週末に溜めてしまった分の新聞を読んでいたところ、イスタンブールからの衝撃的なニュースを発見しました。

 

トルコ企業がGODIVA(日本事業)を売却検討している、という報道です。

 

あ、この記者の方とアンカラで会った!!とか色々他にも確かに心中に去来した想いは多々あります。

それれも、最も私の心情を的確に表したのはこの一言。

 

まじぽん!?

 

元ニュースはこちら。

www.nikkei.com

 

GODIVAといえば、高級ベルギーのチョコブランド。

最近コンビニにも少しずつ商品が出始めたり、ちょっと前にはドリンクの提供も始まりました。

そんな会社のチョコを、理由はなんであれ貰えるのは非常に嬉しいことです。

 

スタバの価値があの緑のマーメイドにあるとするならば、Godivaの価値はゴディバ婦人のベルギーという文字がそえられているあのアイコンでしょう。

 

それほどのブランド力を持っている会社であると断言しても、問題はないんじゃないでしょうか。

 

それは実はとっくにベルギー資本ではなく、トルコ資本になっていたんだとか。

 

同記事によれば、売却した会社、ユルドゥズは他にもみんな大好きチョコクッキー、マクビティの会社も所有しています。

更には、日清製麺ともコラボしていたり。

日本にいるとなかなかに知名度は低いですが、結構大きな会社のようです。

 

さて、この元記事の記者の方にお会いしたのは本当に偶然です。

これからまだまだ更新する予定のトルコ滞在2018にて、少し触れる予定ですが、たまたま私が研究所にいた間にお家族とお知り合いを連れて来られたんです。

その時、研究所にお土産としてチョコを持ってこられていました。

私も少し頂きましたが、めっちゃ美味しかった...。

メーカーは聞き忘れましたが、卵形のチョコでパッケージにイスタンブールと書いてあったのを覚えています。

結局イスタンブールにいたときは、売っている場所を見つけられなかったのが無念...

 

閑話休題

問題はいつの間にゴディバを買収し、どのようにして売却検討に至ったか、です。

 

調べてみたところ、買収は2007年のことでした。

リーマンショックの足音が聞こえるなか、米企業から買収したのだとか。

当時、バブル的な状況であったにしても、イスラーム国家であるトルコの企業が、欧米の代表的な企業を買収したことで、相当なニュースになったようです。

 

なにせ、冒頭でも記したように、ゴディバといえばゴディバ夫人のアイコン

イスラーム圏に受容されるのね!?と感じた方も多くいたでしょう。

 

なんと受容されたのです。

トルコのチョコが美味しかったのも...てこれは関係ない可能性もあるか。

いや、でもチョコがブームになったようなので、影響は否めない…??

www.ab-road.net

 

こんなニュースも当時のものとしてあります。

www.el.tufs.ac.jp

 

しかしながら、ここで我々が義務教育で世界史を教わる意義のひとつ。

素晴らしい時代というのは終わるものです。

 

時は流れ、2018年9月28日。

日経新聞がユルドゥズホールディング傘下の菓子会社がゴディバを売却検討中と報道しました。

丁度、冒頭にリンクを張った記事です

 

直接の原因はやはりトルコリラ

トルコリラ安の原因についてはこちらの記事をご覧ください。

geschichte40.hatenadiary.jp

 

でも、どうやらそれだけなんでしょうか。

 

トルコリラ安には、ギュレン運動が影響しており、2016年に起きたクーデター未遂事件もギュレン師の関与が疑われています。

 

なんとこれがユルドゥズホールディング傘下菓子会社ウルケル・ビスキュビに飛び火します。

ウルケル社が打ったCMこそがクーデター未遂を招いたのだと言われてしまったのです。

勿論社長は反発しましたが…

詳細はこちらの記事をご覧ください。

www.nikkei.com

 

この結果、株価急落という結果を招いてしまいます。

 

要は2016年のクーデター幇助容疑からの株価急落で泣き面だったのに、今年のトルコリラで更に蜂に刺されたということでしょうか。

それが今回の日本のゴディバ事業売却検討に繋がったのでしょう。

 

...一体トルコはどうなってしまうんだ...

あと次に日本のゴディバを買うのはどこの国の企業なんだろう...

単位管理めんどくさいよね~管理例の紹介~

学生に常につきまとう悩みとして必ずあげられるものの1つに単位と時間割があるのではないでしょうか。

 

単位管理面倒くさい。

でも管理しないと卒業できない。

管理できないと、履修組できない

でも管理するのは莫大な時間がああああああああ

 

ということで、普段私が使っている管理シートを紹介したいと思います。

Excelの超基礎機能しか使っていませんが、結構管理したいので、参考になれば幸いです。

 

※こちらは筑波大学人文・文化学群人文学類史学主専攻西洋史コース所属の学生に最適化された記事です。
他のコース、学類の方は適宜自分の履修要覧に照らしながら、応用をお願いします。

※これはあくまで一例です。自身の単位管理は自身で責任を持って行ってください。
筆者は筆者以外の単位管理ミスによって生じるトラブルの一切の責任を負いません。

 

STEP1 時間割と期間管理

まず時間割とかを組むじゃないですか。

その際に、授業の期間、単位数を明確にします。

 

1、Excelで縦に1~6限、横に曜日という典型的な時間割表のテンプレを作る。

この際に1コマ三段にして作ると便利。

モジュールごとに幅が変わって、一目でいつまでの授業かわかります。

 

2、自分の中で、各単位に色を振る

視覚的に一瞬で、あ、この曜日のこの時間の授業は○単位だ!と分かるようにします。

例えば、1.5単位なら青、2単位なら黄色、と。

私にはその実力はありませんが、色で計算できる機能とかあるんですかね?

 

以上、時間割管理です。

Excelで個別に纏めるメリットとしては、中長期的な履修の目処が建てられる事です。

TWINSでは1年分しか登録できませんが、Excel上ではその制限はなし。

4年分とかの履修計画を一気に立てられます。

余白もあるわけですから、履修に関して悩む所を余白に書き込んでおけば、未来の自分も助かるでしょう。

更には、TWINSではモジュールごとにページが変わりますが、エクセルなら1ページで1学期分全体の履修を俯瞰できます。

メリットしかないので、1回Excelに試しに組んでからTWINSで登録することをお勧めします。

 

STEP2 自分の学類の卒業要件を整理する

例えば人文学類では、必修科目、選択科目、自由単位などに分かれ、それぞれに細かい指定があります。

なおかつそれを満たさないと卒業できないという、非常に面倒くさいシステム

時間割を整理したページとはまた別に、卒業要件を整理したページを作ります。

f:id:Geschichte40:20181001110252p:plain

こちらが私が使っているテンプレです。

(私の履修状況は消してあります)

 

この表で見ていきましょう。

AB列で細かい分類を行ないます。

そしてL列に何単位まで認定されるのかを書きます。

適宜合計するところを入れるとなお便利です。

K列は何単位自身が取得したのか。

M列はK‐Lで、何単位の差異があるのか

10、21、25、26行目で合計を計算する。

 

簡単に、=SUM(:)といった関数でできるので、ぱぱっと設定しちゃいます。

 

あとは単位取得後に、該当学期に取得した単位を分別しながら記入していきます。

この時に、=単位/授業*授業+単位/授業*授業という換算をすると、人間のほうでのミスを防げます。

あとは普通に電卓が要らない

そうすれば、Excelが勝手に「あと何単位必要!」「もう何単位オーバーしたよ!!」と教えてくれます

 

自身の好みで、履修完了したところには色を付ける、コメントとして履修単位の中身を細かく記入しても良いでしょう。

 

私は基本的に数字が絡むと自分を信用していないので、単位分布表というページを新たに作って、数字ベースではなく、授業ベースに何単位の過不足があるのかを確認しています。

 

以上、私が使っているツールの紹介でした。

 

そんなに専門性の高いことはやっていません。

義務教育レベルのExcel技術しか使っていません。

他の類似ツール(例えばGoogleスプレッドシートとか)でも同じことが出来るはずです。

 

なので、もし、単位管理困ってるよ~~~という方は良ければこれを試してみてください。

 

私と顔見知りの人で、テンプレ欲しいよ~~て方がもしいれば、(USBと共に)声かけてみてください。

21年生きてはじめて他者からの評価を少し理解できたって話

2015年11月下旬某日

 

「最後の質問です。あなたのことを簡潔にPRしてください」

 

「…えーっと、私は部長をやるような輝かしい人物ではありません。ですが、実際のクラブ活動で副部長を務めたように、好きなことを地道にコツコツ頑張れる人物です」

 

これが、私が筑波大学人文・文化学群人文学類受験の際の最終質問とその回答だ。

 

改めましての自己開示

1997年夏生れ、現在上記の学類に所属している大学生3年生(女)。

西アジアが好きという強い軸を持ち、その軸を元にトルコへの発掘参加や大学選びなどの人生を左右する選択を行ってきた。

西アジアと言っても、古代の事には限らない。そう、西アジアが関係して居れば、そこに存在するものに貴賤はない。そう断言できる。それほど私は西アジアという地域が大好きだ。

更には好きな事、熱中していることには集中力や行動力を発揮することが出来る。

そしてそこそこ軽めのフットワークの持ち主で、割かし国際志向。

それが私である。

 

(好きな事ならば)愚直なまでに没頭できる人物であるという評価は、自他ともに認めるところでもある。

更には、所属していた学生NPO・アイセック筑波大学委員会で頻繁にあった自己分析機会のために、自己分析も1年生のころから行ってきた。

常に一定の満足が行く自己分析をしてきたと私は考えている。

 

それでも1つ、大学に入ってから受け入れられない評価ある。その1つだけ、どうしても納得いかなかった評価がある。

 

それは、、「さえ(筆者のあだ名)は、リーダータイプだよね」という評価である。

 

…どこが???

正直なところ、これをつい昨日まで、数年引き摺っていた。

 

閑話・ちょっと前の話

私は中学高校と所属していた部活・ダンス部で高2の時に副部長を務めた。最初は部長を務めたがったが、諸々の事情でそれは断念した。

この1番の理由は「自分はリーダーが持っているような華々しさはない。カリスマ性に欠如している。むしろ副部長こそがふさわしいだろう」と判断したことだ。

 

私は、組織が円満に行き、それで自分のやりたいことも叶えられたら自分の評価がどうなっても気にしないタイプの人間だ。

例えとして、実際に私が体験した例を出したい。高2の時の部活の話だ。

私の代がダンス部に入った際、先輩たちはとても厳しい指導をしてくださった。おかげで、5学年で50人を超す部活の統率は取れていただろう。

しかしながら、私たちが高2になり、執行代になったときに規律に関して問題が生じた。

部活の雰囲気がたるんでいて、統一感に欠けるのではないか。

今思うと小さい問題ではあるが、当時の高2としては重要な問題であった。

締めることは簡単でもあった。

高2が少しアメとムチのバランスを見直すだけで良かったのだから。

が、私たちは全体の意思として、アメの比率が圧倒的に多くなってしまった。

理由としては簡単で、当時の高2は後輩から嫌われたくはなかったからだ。

でも、これでは全体としてうまくいかない。

私は全体が少しでもよくなれば、自分が嫌われても良い。

その思いで、自身の態度をムチに全振りすることにした。

50人中10人もいない高2の中で更に1人くらい完全にムチに徹する人間がいても、部活全体としては問題がないだろう。そういう判断だ。

 

私の中で、この手のエピソードはとても多い。

それを受け、先日とある先輩Aから「さえは常に組織に目が向いているね」と分析された。

成程。

言われてみればそうだ。

この分析には非常に納得がいった。

 

昨日までずっと受け入れられなかった分析

私は大学1,2年生の時に学生NPOに所属していた。

1年生の時から計2回チームリーダーをやらせてもらい、2年生の時はその団体55周年式典にも筑波大学から出席した3人の1人に加えてもらえた。

更には海外委員会との連絡・調整も担ってきた。

自分の問題意識とは合わなかったために、全てお断りしてしまったが、執行部や委員長をやらないかという誘いも貰った。

 

私にとって、リーダーという役職は難しいポジションであると考えていたからだ。

なにせ、私は議論設計が得意ではないし、ファシリテートも得意ではないからだ。

だから、荷が重い。そう考えていて節がある。

 

ところで、そのNPOの同期に2年生の時に副委員長をしていた友人Rがいる。

彼女は仕事が早く、とても優秀な人物だ。

そんなRにかつて言われたことがある。

 

どうしてさえは自分がリーダーに向いていないと思い込んでるの?

 

理由はなんであったが忘れたが、私が自分はリーダーに向いていないという趣旨の文章を書いたときの彼女のコメントだ。

 

…ほう。

 

この評価は1年間私に強く引っかかった。

 

Encourage 筑波 学内インターンシップ WiLLに参加してきたよ

終了後、漸くRから受けた評価を納得することが出来た。

イベントの内容としては、各自がそれぞれ持っている自己成長のための目標達成を意識しながら、5人チームでグループディスカッションを行うというものだった。

適宜個人やグループに対しフィードバックがあるのだが、私がいたチームは「チームとして不健全」といった趣旨のフィードバックをもらうことが多々あった。

発言量が多く突っ走りがちな3人と、発言量が少ないためにあまり議論に参加できなかった2人に分化してしまったからだ。

ご察しかもしれないが、私は前者に属していた。

 

正直なところ、私はフィードバックの内容が悔しかったし、彼女たちの意見を引き出せない事にイライラしていた。

自分の意見を言えない状況に私が陥ったらとても悲しいし、私はそういう人を見たくはないからだ。

私自身の目標は2つ。

 

・計24回、自分の意見を簡潔に言う事。

・計12回、相手の意見のメリットを簡潔に言う事。

 

私自身の長所でもあり短所でもある頑固さ、及びそれに起因する感情的な側面をコントロールし、大局観を養うためのGOALである。

昨日はそこまで意識していなかったが、相手の意見を引き出せないという事は自分のゴール未達成という事態を招きかねない。

それもひょっとしたらイライラの素になっていたのかもしれない。

 

私は積極的に2人に話をふるようにした。

 

終了後、チームメンバーやメンターからフィードバックを受けた。

私自身の2つのGOALは達成されていた。

それは勿論喜ばしいことだ。

 

が、予想外のコメントも受けた。

 

「さえはリーダーとしての役割も果たしてくれたよね」

 

まじ???

 

振り返り

メンターの方とも終わった後に話したところ、私は話しまくる人とそうでもない人の間に立つバランサーとしての役割を果たしていた。

あまり議論に参加しない人からの意見を引きだす、という点において、ファシリテーターではないものの、議論のLEADerとして動いていたということだ。

勿論、それも十分であったとはとてもではないが言い難い。

私に出来たのはあくまで意見を引き出す機会を提供しただけであり、それも十分ではなかった。

更に、真にLEADerとして自身を置くならば、発言が強い人に対する牽制もあってしかるべきだったのだ。

 

その点では、十分に反省の余地がある。

 

リーダーが必ずしも議論の中心である必要性はない

それは何度も言われてきたことだ。

が、私は中高生の時から抱いてきたリーダー像のためにそれを受け入れることが出来なかった。

更には、リーダー向きの人材であると言われたために、実際にやってみても、ファシリテーターとしては未熟の極みを露呈して失敗。それを繰り返してきた。

 

そのために、自身はリーダーに向いていない人材であると理解してきた。

 

が、ひょっとしたらそうではないのかもしれない。

Rが客観的にみて、「さえの意見は妥当じゃない」と言ってきたのは、リーダーとしてではなく、LEADerとしての話をしていたのかもしれない。

 

なにはともあれ、特にこの1年引っかかっていた評価を漸く受け入れることが出来た21歳夏休み、最後のイベントであった。

 

同じグループであったメンバー、メンターの方々、特に紹介してくれた先輩・Gには本当に感謝である。